イルカは急いで桜羅の都へと向かった。噂話なんてあてにならない。だがそれ以外に情報などない。独りよがりだって良い、少しでもカカシに近づくことができるのならばとイルカはただひたすらに走った。
そしてたどり着いた桜羅の都は海沿いにある大きな街だった。どこの国にも属していないが、だからと言って無法地帯のように機能していないわけでもない。観光客のためにと警備もかなり強化されていると聞く。
実際都の中に入ろうとしたイルカは身分証明書を何度も検査員に見せて入ったくらいだった。
この都はギャンブルが盛んで夜中も街の明かりが消えることはないと聞く。週末ともなれば余所からギャンブル目当ての客が街を覆い尽くす。
イルカはバーの下働きとして住み込みで働くことにした。
有給は一ヶ月、残りは3週間しかない。焦る気持ちはあるがここで焦っても仕方がない。じっくりとゆっくりと相手を見極めなくては何のためにここに来たのか。
店で出す食材の仕入れや酒の樽の運び入れ、ゴミ出しと、イルカは仕事をこなしつつ、たまに店に出て客の話を聞くようになった。
その日、イルカは混んできて手の回らなくなったボーイの代わりに客に飲み物を運んでいた。情報はなかなか入ってこない。それはそうだろう、闇オークションなんて実在するかどうかもわからない、噂話が一人歩きをしているようなものなのだ。
しばらくして店の中に一人の男が入ってきて、飲み物を運び終えたイルカに声を掛けて来た。

「ビール。」

男はそれだけ言うとカウンター席に座った。綺麗な男だった。少し癖毛の黒い髪。何故かまとう空気が優しげなような気がした。
イルカは店の奥に行って樽からジョッキにビールを入れてすぐに持っていった。カウンター越しに男に手渡す。

「ありがと。」

男はにこりと笑った。赤い瞳が印象的な男だとも思った。
店は朝方まで続く。そして日中は休み、夕方から開店する。
イルカは朝方にゴミを出してからこの店の屋根裏に行って休んだ。イルカの部屋は屋根裏部屋なのである。この店の主人が住むところがないならと提供してくれたのだ。
桜羅の都の宿泊料はべらぼうに高い。都にやってきたイルカはそのことに驚愕した。カジノに来る金持ち用に作られたホテルが大半を占めているからだと知ったのはそれからすぐのことだったが。
イルカは硬いスプリングのベッドに体を横にした。カカシのために様々な情報を入手しなければならない。だが体を酷使して使い物にならなくなってしまえば元も子もない。
危険なことに巻き込まれたとき、いざというときに疲れ切った体で何もできなかったら、そんなことにならないためにも体には最低限の休息を与えるようにしていたのだ。
小さな窓からは朝日が差し込む。だがイルカは背を向けて光りから視線を逸らした。
こんなことをしていると知れたらきっと怒られるだろう。火影にも何も言わず勝手に動いて、勝手に首を突っ込もうとしているなんて。でも、止められないんだ。だって、あの人がいないなら、それは全ての意味を無くすから。
イルカは微睡みの中に身を落としていった。

 

 

夕食の支度をしていた。いつもの自分の部屋の台所で。今日はピーマンが安かったから肉詰めにでもしようか。いや、買ったのは茄子だったろうか、茄子に挽肉を挟んで揚げてもいいだろう。

『イルカ先生、ただいま。』

愛しい人の声が聞こえてきた。振り返るとその人がいた。いつものように安心するあの笑顔で微笑んでくれる。今日もちゃんと帰ってきてくれた、自分の元に。それだけでなんて幸せ。

『今日のごはんはなんですか?イルカ先生のごはんはおいしいからいつも食べ過ぎちゃうんですよ。』

玄関から台所までやってきたカカシにそう言われると照れてしまう。自分はこの人の特別なのだと実感する瞬間。この人はどうしていつも自分をこうして喜ばせてくれるのか。ただ、愛しいから。

『今日も疲れましたが、あなたが待っていてくれると信じているから俺も任務をがんばれるんですよ。』

近づいてきたカカシにイルカはにっこりと微笑み返す。
やがてカカシがイルカの頬に触れそうになった時、イルカははっとした。
腕が、ある。
違う、この人の腕は、今、この人の体には、ない。この目で確認したのだ、あの悪夢を。

『カカシ、さん。』

震える声をなんとか絞り出した。

『はい、なんですか。』

優しい声、暖かい、いつも心を穏やかにしてくれるたった1人の人の声。

『あなたは、今どこにいるんですか。どうして、俺の側にいてくれないんですか。』

カカシの笑みが固まる。空気も、光りも、全てが固まってしまう。まるで映像が停止しているかのようだ。全てが無機質になっていく。
そしてさらさらと崩れてゆく。砂のように跡形もなく。
ただ、不快感はなく、恐怖もなく、イルカはその光景を見ていた。宙を舞う木の葉をぼんやりと見るように。
あったのは、やはり、という虚無感。濁っていく瞳、乾燥した唇。カカシがいないと自分はだめになってしまうと言うのに、どこに行ってしまったの。

 

 

「うあああああっ、」

イルカは自分の声で目が覚めた。
屋根裏部屋のベッドの中だった。心臓かがバクバク言っている。はぁはぁと息が荒い。夢だろうか、あんなに鮮やかに、あんなにあの人の感触がはっきりとこの頬に、手に焼き付いていると言うのに。
カカシと離れてから、本人の夢を見たのはこれが初めてだった。いつも夢を見ることなくぐっすりと寝入っていたから。
でも、幻など、夢など見たくなかった。本物のあの人が側にいないのならば、それは無意味だ。あの人がいなければ、あの人の腕の中にいなければ。
その腕も、片方が今は本体から離れているけれど。
いつもそこにあった風景が、今はこんなにも怖い。
イルカは手で顔を覆った。泣きはしない。まだ大丈夫、まだ、心は壊れない。
時計を見るとまだ開店までには随分と時間があった。だが寝直すのもなんとなく嫌なものがある。
また、あの残酷で幸せな日常が出てくるかもしれないと思えば当然の考えだった。
イルカはベッドから降りると身なりを整えた。そして店を出て街を散策することにした。
裏の情報を得るためにはそれなりの情報を持つ情報屋とコンタクトするのが一番の近道だと分かってはいたが、よそ者のイルカに情報を売ってくれる者はいなかった。金を積めばいいという問題でもない。幻術などを使えばいいのかもしれないが、ずるをして、騙して得た情報を持って行動していけばやがてその情報を与えた者からの密告やらなにやらでイルカ自身にしっぺ返しが来ることもある。情報屋はそういった結束力が強い部分がある。なにせ自分の命に関わるかもしれない情報を売っているのだ。身の危険には人一倍の警戒をしている。そして騙した者には制裁を与えるのが通常だ。カカシの身を案じて慎重に行動をせざるをえないイルカにとって無理強いをして情報を得ることはすなわち自殺行為と言えた。
イルカは公園のベンチでぼんやりと空を見上げていた。今は2時を過ぎた頃だろうか。温かな木漏れ日の下でイルカは頭の中でこれからの算段を立てていた。こうやってずっとバーの客の情報を聞き込んでいずれはと思っていたが、情報はなかなかやってこない。こうなったらどこかの権力者の屋敷にでも忍び込もうかと邪に思った時もあったが、やはり警備が厳しく、金持ちの家には大抵上忍クラスの用心棒が雇われていて、中忍であるイルカには到底忍び込めるものではなかった。

「どうしたものか。」

イルカはため息を吐いた。その時、公園の前を数人の男が横切っていった。その中に見覚えのある顔が見えてイルカは一瞬息を止めた。薬師カブトだった。

木の葉崩し以降、その存在は犯罪者として挙げられ、賞金が賭けられているほどだった。ビンゴブックにも載っている。中忍試験で途中自ら棄権した変わり者だと思っていたが、まさか大蛇丸と繋がっていようとは。
しかしこの都に何の用なのか、危険とは分かっていてもイルカはカブトを追わずにはいられなかった。
カカシと関係があるかもしれない、ただひたすらそれだけを思ってイルカは気配を消して彼らの跡を追った。一緒にいるのは音忍だろうか、額宛てをしていないので分からない。カブトよりも幼い容貌をしている、忍びではないのかもしれない。
カブトたちはカジノの集まる地域へと入っていった。この辺りは大きな店が建ち並び、都の中でもかなり賑やかな場所だった。
この都でカジノをしにきたのか?いや、この昼間から開いている店は少ない。何か別の目的かもしれない。
イルカは注意深く追跡する。だが一瞬目を離した隙に姿を見失ってしまった。
路地裏へと続く店と店の間の暗い道に入る所だった。つけられていたことがばれていたのか?しかしカブトの実力ならば自分を消すのに時間はかからないだろうに、こんな回りくどい方法を取らなくても。
どこかへと続く通路でもあるのかと周りを見渡してみたが特に変わったところも見受けられない。たむろする連中もいない、なにもない、がらんとした風景があるだけだ。
それから小一時間その辺りを丹念に調べ上げてイルカはその場を後にした。これ以上探索した所で何かが出てくるとは思えなかったのだ。
その日、釈然としないままイルカは店に出た。カブトがいたからと言って何かがあると確信するわけではないが。だが、大蛇丸は裏で様々な人体実験を繰り返していたと聞く。闇に染まって以降は裏の世界にも精通していることだろう。安易にそこから闇オークションに繋がると言うわけでもないだろうが、それでも関連性がないわけではない。
そう頭の中で自分なりに推測していたイルカは、今日も店の裏口から路地にあるゴミ箱にゴミを捨てに行った。
ふと、何か違和感があった。店の裏手の路地はたむろしている連中こそいないが、殺風景とは言えず、ゴミだとか野良猫だとか、そういった生活臭に溢れている。店がひしめき合っている場所ほどそういった人間臭いものが漂うはずなのだが、あの場所にはそんな生活臭がまるでしなかった。
イルカは愕然とした。そう、それは自然ではない。かなりの不自然さだ。
あんなに賑やかな所で殺風景な路地裏なんてあるはずがない。
イルカは急いで店に戻って今日はもう休むと伝えて屋根裏部屋へと向かった。
そこで重装備を整えてイルカはあのカジノが立ち並ぶ店と店にある路地裏へと向かった。
確信はない、けれどどんな些細な直感だっていい。あの人に繋がっているかもしれないと思えば。
イルカは急いで路地裏へと向かう。人にぶつかりながら、必死になって忍びとしてあるまじき慌てようで走る。
そして路地裏に着いたとき、そこは昼間と同じく殺風景が広がっているだけだった。表通りの喧噪がまるで遙か遠いことのように感じる。
ここのどこかに入り口があるはずだ。幻術か、それとも合い言葉か、入場料が必要なのか、それとも口利きか?
イルカは昼間よりもずっとずっと注意深く探した。どこかに入り口があるはずなんだ。そうとは分からない、闇へと繋がる入り口が。
やがてその路地裏で一つ、小さな裏口を見つけた。どこにでもあるドアだが、続く建物とあまりにも類似点のない、小汚いドア。
イルカはそのドアに手を触れた。
するとどこからともなく両脇に二人の男が立ちはだかった。一瞬のことでイルカは身動きができなくなった。拘束されたわけではないが動くことを拒否されたかのような圧迫感だ。

「兄さん、見ない顔だね。この扉に気付くってことは忍びかな?」

自分よりもかなりうわての人間だと言うことが分かった。いままでそれなりに長い時間ここを探していてその存在に気が付かなかったのだ。
イルカは生唾を飲み込んだ。

「用が、あって来た。」

「へ〜、ここがどういう所か知ってて言ってるのかな?」

「俺は、ただ、探しているだけだ。」

正直に言えば二人はふーん、と言って少しだけ体を離した。

「口添えの人物はいないの?」

イルカは首を横に振った。

「へ〜、ご苦労様だね。」

二人はにやにやと笑ってイルカを品定めするように見てくる。

「金はあるの?」

「ある。」

「とてもそうは見えないけど。」

くくく、と笑い合う。いい感じはしないがここで突っかかっても仕方ない。

「通してくれ。確認したいことがあるんだ。」

男たちは顔を見合わせてケラケラと笑った。馬鹿にした笑い方だった。

「そこまで言うなら通してあげてもいいよ。どうせあんたの持ってるはした金じゃあ何も買えないだろうけど。ちなみに一切の武器、術の使用は禁止されているから。どんなものを持ち込んだって使えないよ、無駄骨になるだけさ。」

男たちはイルカの装備を見てにぃっと笑った。そこまで言うならばきっと本当に使えないのだろう。どんな仕掛けかは知らないが。
イルカが頷くと、男たちは目の前にあるドアに手を伸ばした。するとバチバチと火花が飛んでドアが開いた。何か仕掛けがあったらしい。
イルカはにやにやと笑う男たちに見向きもしないでドアの中に入った。そして階段を下りて奥へと進んでいく。暗い廊下はやがて薄暗くではあるが明るくなっていき、人々の話し声も聞こえてきた。
そして見えてきたもの、そこは大きなオークション会場だった。
大規模なものだ。地下にこんなものがあろうとは。
競りは始まっているようだった。ステージでは今日の獲物が運ばれてきている。ぱっと見では人ではなく生きた動物のようだが、見たことのない種類だ。
絶滅危惧種や捕獲禁止の動物だろうか。
会場の隅の方で競りを見つつ、会場にカブトがいないかチェックする。会場はステージ以外の場所は薄暗くなっている。忍びの目は夜目が利くから確認できるかと思っていたが、対忍び用か、まったく夜目が利かなかった。忍び対策がちゃんとされている、一筋縄ではいかないのだろう。男達が言っていたことは本当だったようだ。カブトたちもそう言うところで強制できないから一般客と同じように大人しくオークションの競りに参加しているのだろうか。
イルカはステージを睨み付けるように見つめた。商品にカカシがいるかもしれないのだ。しかし行方不明になってそれなりの日数が経つ。捕らえられたとして、もう売られているかもしれない。それに第一このオークションには出てこないかもしれないじゃないか。今も別の所で身を潜めているのかもしれない。自分は果てしなく見当違いのことをしているのではないかと不安になってしまう。けれど、それでも人を売ると言うのは本当かもしれないし、そこだけでも確認して里に連絡した方がいいだろう。イルカは決心したのだった。